糸の博物誌

糸の博物誌
−ムシたちが糸で織りなす多様な世界−

齋藤 裕(北海道大学特任教授)・ 佐原 健(岩手大学教授)共編
A5判・上製本・208頁
定価(本体2,600円+税)
ISBN 978−4−905930−86−0
2012年9月15日

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ムシたちの糸で織りなす奇想天外な適応
 人間は古代から糸を紡ぎ,それを織って衣服をつくることで寒さをしのぎ,さらにその身体を飾ってきました.なかでもカイコガの繭からとれる絹糸でつくられる絹織物は,ローマ帝国,中国や日本の古代王権の象徴でもあり,その交易のために地中海や中東世界と原産地中国の間にシルクロードと呼ばれる路があったことはよく知られています.また,ギリシャ神話には機織りの女神アテネがおり,彼女に機織りで対抗したアラクネが,神に挑戦した不遜を咎められて糸を紡ぐクモに転生させられたことが語られています.クモのグループを表す学名であるArachnida(蛛形綱)は,このアラクネの神話からつけられたものです.人間と糸の歴史は長く,糸や絹に関する言葉も多様化していて,現代ではしばしば間違った使い方がされるほどになっています(Box 0-1).このように,絹は,羊毛や植物由来の糸(木綿)とともに古代から人間の生活や文化とは切っても切れない存在でしたが,その存在自体があまりに普通すぎて,それがいったい自然界で何のために生み出されて(進化して)きたのかについては,あまり多くが語られていませんでした.
 実際,編者でさえこの本を企画した段階で,どのようなムシが糸を出すのか,その大半を知らなかったというのは,いかにも迂闊なことです.クモ,チョウやガの幼虫,そしてハバチ,また社会性のアリのワーカーが幼虫をつかんで,その紡ぎ出す糸を使って巣をつくることなどは,一般に知られている範囲でしょうが,タマバエ(タマカ),チャタテムシ,トビケラ,シロアリモドキなどになるとまずほとんどの人は知らないでしょう.さらにカニムシ,テングダニ,ハモリダニ,フシダニの出す糸となると,たぶん全く視界の外です.なぜ「糸を出す」という性質が,このように多くのグループに「独立」に進化したのでしょうか.最近,中田謙介さんはクモの糸をドーキンスの「延長された表現型(すなわち,個体の身体以外に表現される形質)」として再考していますが,まさしく,動物の適応を助ける重要な体外「装置」になっているのです.言い換えれば,動物(ムシ)が最初に「道具」のようなものを使ったのは,この糸なのではないでしょうか.実に,クモの祖先が糸を出すようになったのは,少なくとも3億8千万年前だったと,ブルネッタとクレイグさんはその著書 “Spider Silk” で述べています(第1章参照).
 そこで,本書では,この動物の糸に注目して,どのような種が,どのような場面でそれを出し,そしてそれはどのような機能をもっているのかについて紹介したいと思います.ヒトにとってさまざまな素材でつくられる糸が欠くべからざるものであるように,糸を出す動物たちにとってそれは欠くべからざるものであり,それがそれぞれの動物の進化に深く関わってきたのだ,ということを少しでも理解していただけたら幸いです.
 なお,煩雑さを避けるために,本文中には文献引用を控えました(適宜,報告者のお名前だけをあげます).さらに詳しく知りたい読者の皆さんのために,巻末にその項目が載っている主な参考文献を示しました.
         
目 次

はじめに              
1 クモと糸 (遠藤知二)
  1-1 クモと糸の切っても切れない関係
  1-2 クモは糸をどのようにしてつくるか
  1-3 クモの糸の性質
  1-4 クモ,木に登る
  1-5 クモの巣の小径をたどる ― 2つの円網をめぐる迷路
  1-6 逸脱への道

2 ダニと糸 (齋藤 裕)
  2-1 ダニの糸
  2-2 巣網をかける社会性ハダニ
  2-3 「道具」としての糸
  2-4 命綱と(浮)遊糸
  2-5 糸から網へ
  2-6 トイレと網
  2-7 巣網の防護機能
  2-8 不規則網の防護機能
  2-9 種間競争の武器?
  2-10 コミュニケーションの手段としての糸
  2-11 副産物としての網
  2-12 それ以外のダニの糸
  2-13 この章のおわりに

3 昆虫の系統と糸利用の多様性(吉澤和徳)
  3-1 昆虫の系統進化
  3-2 口から糸を出す昆虫
     コロギス(バッタ目)
     チャタテムシ(カジリムシ目)
     ノミ目
     ユスリカとブユ(ハエ目)
     ヒカリキノコバエ(ハエ目)
     トビケラ目
  3-3 おしりから糸を出す昆虫
     トビムシ目,イシノミ目,シミ目
     サナエトンボ(トンボ目)
     シロイロカゲロウなど(カゲロウ目)
     シマアザミウマなど(アザミウマ目)
     ウスバカゲロウの仲間(アミメカゲロウ目)
     ガムシ(コウチュウ目)
  3-4 脚から糸を出す昆虫
     シロアリモドキ目
     オドリバエ(ハエ目)
  3-5 「出所」不明
     Kahaono montana(カメムシ目)
  3-6 糸を出すという行動の進化

4 ハチと糸 (郷右近勝夫)
  4-1 親が紡ぐ糸 ― 自活から子の保護
  4-2 親世代が幼虫の糸を利用 ― ツムギアリの糸
  4-3 幼虫世代が紡ぐ糸― 繭は口ほどにものを言い
  4-4 絹傘の機能
  4-5 砂粒の「揺りかご」,繭にあけられた小窓の謎
  4-6 この章のおわりに

5 寄生蜂とチョウと糸(田中晋吾)
  5-1 寄生蜂が糸を使うとき
  5-2 糸を利用して厳しい環境から身を守る
  5-3 誰がために天幕を織る? ― 寄生蜂による寄主の行動操作

6 チョウとガの糸(佐原 健)
  6-1 カイコ
  6-2 繭の形
  6-3 繭の色
  6-4 幼虫の糸
  6-5 糸のコスト
  6-6 どうして繭をつくるのか
  6-7 繭をつくる他のチョウ目昆虫
  6-8 繭をつくらないチョウ目昆虫の糸
  6-9 水にすむトビケラの糸
  6-10 絹タンパク遺伝子とその進化
  6-11 遺伝子から見た糸の強さと伸縮性
  6-12 カイコの生物学的な起源

7 人と絹(佐原 健)
  7-1 養蚕の起源
  7-2 絹糸と生糸
  7-3 日本近代養蚕業の盛衰
  7-4 カイコ繭の育種
  7-5 トランスジェニックと絹糸がつくれないカイコの良い関係
  7-6 皇室と養蚕

おわりに
参考文献
事項索引
生物名索引

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